安斎利洋の日記全体に公開

2004年08月27日
01:25
 地中美術館の睡蓮
高松での仕事がてら、直島の地中美術館に足を運んだ。四人の作家が重層的に響き合う中で、僕はとりわけモネとタレルの交叉に心を奪われた。

中学生のころ印刷物の中で見たモネは、希薄な画家だった。退屈な主題、明瞭でない線、溶け出した色彩。それが近年、たとえばサム・フランシスらの源流として印象派とは別の座標軸を与えられ、モネは僕にとって驚きと発見に満ちた画家になりつつあった。

地中美術館でジェームス・タレルと対峙したモネもまた、驚きに満ちている。しかしそれは、ゲーテの色彩論の体現者としての、また色彩のコンポーザーとしての、つまり印象派の本質を改めて照射する座標に立ち帰った、新しくも古くもあるモネだった。

タレルの『オープン・フィールド』の青い部屋に入る。すると、いま通過した部屋への入り口が、なにも仕切りがないにもかかわらずきっちりと実体をもった矩形の板として現れる。タングステンライトで照らされた普通の入り口は、実は巧妙に調整された補色で満たされている。

音楽のトナリティ(調性)が五度音程のシステムであるように、補色は色彩の調性を構成する基礎的な幾何学だ。《調性の海》という武満徹の言い方を借りれば、色彩のトナリティーが海になるためには、音のように空間を満たす広がりを必要とする。

グレゴリオ聖歌のように純化されたタレルの部屋に包まれたあと、音楽史を遡行するようにモネの部屋に入る。するとそこに、補色のシステムに縁取られた近代の和声が立ち現れる。

日常的な風景の中で、空は物体の影に回りこむ環境光だ。睡蓮の池で、空は影に色彩を与える漠然とした環境ではなく、切り取られ実体をもち、花や葉ときわどくせめぎあう。空に挟み込まれた世界で、地上の色彩は異なる調性にさらされる。タレルの『オープン・スカイ』から空を見上げながら、モネを魅了したのは睡蓮というより切り抜かれた空であるということが了解できる。

包囲された体験の中で始めて聞こえてくるモネの緻密な音楽は、ひょっとするとこの場所のほかで聴くことはできないかもしれない。

 

コメント    

2004年08月27日
02:08
gilli
四国はなかなか足を運ぶ機会がないですが、
伊藤若沖の美術館といい、行かなければならないところがいくつもあるようです。

まるで、美術館の風景がそこに浮かぶような文章、おそれいりました。
2004年08月27日
12:40
mi
わたしもむかしもねはだめでした。でも、いま、うぇぶで「すいれん」のえをみたら、なにかおくゆきのようなものをかんじました。たれるさんといっしょだときっともっと?ひろがってゆくのではなく、とじこまれているおくゆき、すいこまれていってもういちどもどってくるようなの、をかんじるのではないかとおもいました。
2004年08月28日
00:18
安斎利洋
Yuriさん、僕も四国に行くチャンスは少ないんですが、今回高松に行って、なぜか「ここに住みたい」と思いました。
2004年08月28日
00:32
安斎利洋
miさんも、昔はダメでしたか。僕は、八丁味噌も昔はダメでしたが、今はないと生きていけない。関係ないか。
モネが理解できなかったのは、印刷のせいもあると思います。最近は目をみはるような色バランスの良い画集が出てきました。
思うに、悪い印刷では本質が伝わらない絵と、どんな印刷でも大事なことは伝わってくる絵がありますね。
2004年08月28日
01:43
mi
モネ、私本物見てたはずなんですが、もともとピカソとかマチスみたいな、チャントしてるのよりちょっとコワレてる系しかダメだったので(若気の至り?)、ダメでした・・・。

八丁味噌の方は私は昔から大丈夫です。でも、家に導入したのはやっとつい先日で、まだ、なしでは生きられないほどではありませんが・・・。といいつつ、今夜は「ナスとニラと豚レバーの八丁味噌炒め」作りました。オススメ豆板醤入り\(^o^)/(ひょっとして、豆鼓じゃなきゃダメですか?本当は・・・)
2004年08月28日
01:46
mi
変な文章になりました。
ピカソとかマチスはチョットコワレてる系で、
モネはチャントしてる系、
私はチョットコワレてる系しかダメだった・・・。
って、わざわざ書かなくても通じるとは思いますが。
しつれいしました。
2004年08月28日
02:34
安斎利洋
>もともとピカソとかマチスみたいな、...
>ちょっとコワレてる系しかダメだったので

これ、よーくわかる。

僕はいまでも、壊れる、壊す、っていう要素のないアートなんて意味ないと思ってます。

モネも「壊す人」として登場した人だけれど、モネが破壊したのは美術界の風習なんていうつまんないものじゃなくて、人間の中に住む色彩のシステムなんでしょう、たぶん。
2004年08月28日
15:40
gilli
私も去年阿波踊りの時に徳島に行って、住んでもいいかなと思いました。なんか、四国って田舎じゃなくて、『ちゃんとしてる』
2004年08月30日
22:49
Archaic
はじめまして、大変興味深く読ませていただきました。

モネはそんなに自分にとって大きな存在の画家ではなかったのですが薔薇のアーチの小道というようなタイトルの、花の無い薔薇の蔓のうねりを描いた絵をこの春に都美館だったかで見ました。モネのエネルギーの溢れる力を感じちょっと気になっています。まるで、ぬたくり、のようだった。花の無い姿の薔薇を描いたところも植物を愛し知っているからこそ、とも思えました。そして壊れんばかり、おさまりきれない彼の生命と薔薇の蔓の生命の共振が見えたようだったから。
その側には睡蓮のシリーズがありました。色彩を越えて光へ向かう前に薔薇の蔓の生命力を描いたモネを知る事が出来たのは良かったなって思いました。

余談ですが、この春に意識の学会に行ってクスリを飲んで絵を描いているのを時間経過と共にクロッキーとかデッサンで残している発表を聞いてきました。時差で睡魔に襲われあまりきちんと聞けなかったのですが、その時の絵の壊れてゆく過程がキュービズムっぽくて面白かったです。

初めてなのに長々と失礼いたしました。お許しください。
2004年08月31日
02:06
安斎利洋
アルカイックさんはじめまして。

うかつにも、モネの「花も薔薇もなかりけり」は見ていませんが、確かに薔薇の本質は花より蔓かもしれませんね。

植物を絵に描くと、当然止まっている状態になるから、色や形の美しさに目を奪われるけれど、やはり植物というのは成長して枯れていくプロセスがその本性というか、蔓だったら自分が生きていける空間を虎視眈々狙っている状態が、彼らの本当に面白い本性なんでしょう。そういえば、植物を育ててみると、いつもその変化に関心が向いていきます。

地中美術館で考えたもうひとつのことは、絵は音楽だ、ということです。もっと言うと、あらゆる表現は音楽だ、とまで言い切ってしまいたいような、そんな気持になりました。
2004年08月31日
21:30
Archaic
今日になってこのモネの絵が気になってググってみました。
「薔薇の小道」というタイトルだそうで、モネが視力を失いだしてからの晩年の作品となるそうです。私は薔薇の赤い蔓がうねっているように思ったのですが、他の方の文章ですと、赤い花と思っておられる方もいて、う〜ん、と思ってしまいました。
冬の庭だと思っていたのですけど・・・。どちらが正しいのかはちょっとわかりません。
いい加減な記憶を元にコメントして申し訳ありません。

絵が音楽ということ、そんな事を思わせる美術館というのは興味深いですね。音楽の時の芸術としての抽象性の持つ包括的な受容性というものをおもっていらっしゃるのでしょうか。
直島はとても素晴しいとは聞いていたのですが、音楽のシステム概念と色彩を関連付けていらっしゃるこの文章をよませていただきましてさらに興味が湧きました。ありがとうございました。
2004年09月01日
00:57
安斎利洋
archaicさん、話を精密化するコメント、ありがとうございます。

>音楽の時の芸術としての抽象性の持つ包括的な受容性というものを
>おもっていらっしゃるのでしょうか。

まったく、一字一句その通りだと思います。

絵もまた、和声の中の旋律のように、次から次へと心の中にたち現れる無数の要素から成り立っていて、絵は空間の幾何学であるより、要素の動力学だということを考えました。その要素というのは、筆の一ストロークであり、あるいは蓮の葉のような絵の中のオブジェクトでもあり、さらにたくさんの作品の中の一枚の絵でもあります。

地中美術館は、モネの部屋を臨む暗いロビーがあり、ロビーへの入り口には最適な立ち位置に体を導く「つい立て」がある、そんな複雑な前奏部分を持っていて、まさにモネという音楽がたちのぼる仕掛が仕組まれていました。

昔にくらべて、今や誰でも自分の絵を世界に掲げることができるメディアを得たわけですが、絵の音楽が聞こえてくるような場所は、ほとんどありません。絵が心に現れるような場所が欲しい、どうやったらそれが作れるか、なんてことも考えました。

音高システムと色相環の連想も、おそらくこのダイナミクスと無関係ではないとは思うんですが、このテーマは独立していろいろなことを考えさせられます。

たとえば、音律があるなら色律もあるはずだ、などなど。

2004年11月10日
21:27
みゆき
はじめまして。
沢山興味あります。美術館.モネ.音があること。

わたしも絵を描きます。
墨の絵です。

自分ではダンスがあるな、とおもってました。

そして、メロデイではなく、音律ではなく

だんだん!どおおおおおお!ざっざ!
スルーーーー!

さらさら

です。

是非また、寄りに来ます!ありがとう!
2004年11月10日
22:38
安斎利洋
墨と筆の世界は、より直接的に音楽やダンスに結びつくと思います。

みゆきさん、すばらしい線を拝見させていただきました。
http://www.c-channel.com/c00248/
2004年11月10日
22:41
みゆき
こっちこそ、ここに紹介してくださり、ありがとうです!
2004年11月10日
22:45
安斎利洋
とりわけ、ダンス(1987)のシリーズ! いいですね。

以前から気になっていた作品も、いくつか見つけました。
作品と作者が結びつきました。
2006年03月24日
05:03
Fibonacci
秋刀魚の糠漬け求めてこんなところに迷い込みました。

モネの再発見をやはり、タレルを通じて、地中美術館で経験しました。
オープンスカイは月夜にも鑑賞しましたが、何故か音を意識させますね。
デマリア論を聴きたいですね。
この球体の部屋にも時々ドラムの音が響くのです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2654528&comm_id=385376
2006年03月24日
20:29
安斎利洋
フォマールさん、こんな奥深い沈殿物を見つけてくださって、ありがとうございます。
デマリアは、モネとタレルのあまりにシンプルな呼応と比べて冗長に思えて、僕はちゃんと解読できなかったのかもしれません。ドラムの音は気づきませんでした。
オープンスカイも昼間しか知らないし、これはやはりもう一度足を運ばないといけませんね。
2006年03月24日
20:52
この時にみゆきさんが!。ほお。

 安斎利洋mixi日記 一覧へ