「肉は、はじめ強火で表面を焦がしておくと、肉汁が逃げない」というのは、料理の基本中の基本なわけだけれど、ウソなんだそうだ。ちゃんと実験してみると、表面を焼こうが焼くまいが、肉汁の出方は変わらないという。
しかし、これを信じて調理すると旨い肉が焼けるんだから、「肉汁が逃げない」という誤解は、遠回りに機能を果たしていることになる。
原始的な医療に、家族が数日かけて山奥に入らないと採れない野草、というパターンがある。自分を守っている人がいるという思いに数日ひたることで、たぶん免疫も上がり、この野草がなんであれプラシボ(偽薬)効果でよく効くのだそうだ。
肉が旨く焼けるのもこれと同じ構造で、こういうのをプラシボ知識と呼ぶことにしよう。
血液型と性格の相関も、科学的な根拠はないといわれている。にもかかわらず、けっこう多くの局面で人間関係のタイプが血液型で説明されているし、それが実際になんらかの機能を果たしているなら、これもプラシボ知識。
ほかにもないか、あれこれ考えてみると、クオリアとかミームとか表象とか、わかりかたがわからない対象につけられたエーテルのような名前は、ほぼプラシボ知識だろう。
というか、わかりかたのわかった数学や科学がプラシボでないという境界が、よくわからなくなってきた。