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読みまつがい全体に公開
2009年05月16日00:17
2年ほど前から特定の距離のものしか見えない病気にかかってしまった。老眼という不治の病らしい。

生まれてこのかた目が悪くなったことがなかったので、この事態は仰天の連続だ。文字を読み間違えることは昔からあったけれど、目が良ければただちに訂正される。ところが目が悪いと、訂正されないままエラーが固定される。

「猫がわかれば世の中がわかる」という本をみつけ、これだ!と思って購入。
あまり行かない美容室のメンバーカードには「たまにご来店ください」と書いてある。
「哲学のための奨学金」という車内広告には、心が躍った。

それぞれ眼鏡をかけてみれば「脳がわかれば世の中がわかる」「またご来店ください」「留学のための奨学金」というつまらないテキストにすぎない。

老眼まで達したオヤジにとって、世界は自分が読みたいように読める脳内辞書そのものだから、項目をひとつずらしたあの連発駄洒落が誘発されるんだろう。

最近、早稲田で担当しているゼミに潜っているアントレくんは、「読自」というコンセプトで、本を読む形式を表現している不思議なアーティスト(?)だ。哲学書から小説まで目についたあらゆる本を一日に3冊読む。しかも、一冊について15分以上連続してかかわらない。読書日記をブログに書く。すると、本を読みながら本ではないものがいろいろ読めてくる。

以下、アントレと話したこと。

この世にパソコンがうまれて間もないころ、CG環境が一千万円もするような、もちろんフォトショップもない時代、ペイントソフトというものがあるのを知り、あれこれ調べてこれは自分で作れそうだと思い立った。既存の高価なソフトの画面写真から動作を想像して、マウスのドライバも自分で書き、作りあげたソフトをCG業界人に見せると、これはン百万のソフトよりすごいということになった。画面写真を誤読することによって、僕は先端より前に出ることができた。

さて、ここで僕は自分を読んでいたのか、それとも銀河のかなたの、なにかに引かれていたのか。

コメント

うさだ♬うさこ2009年05月16日 01:17
すみません、あまりにも脳にヒットしたのか、コメントを二つ書いたつもりが
一つしか残っておりませんで、意味がありませんでした、、、

つまり、何が言いたかったのかというと、私も同じような間違いをよくやるし、
今日もそのことを書こうと思ったけど、内容を忘れたということ。

覚えているのは、仕事上、easierとearlierを読み間違えて5分も無駄に悩んでしま
ったということ。

ネイティブ言語を離れると、この種の物理的な不具合は、さして意味もないし
面白くも何ともない読み間違いにしかつながらないってことです。

でも、読み間違いって言うのは、ある種の自分の「がんこさ」も反映されてい
ると思いません???
この文脈でearlierではどう考えたって意味が通らないのに、自分の目が読んだ
ことを信じてしまって身動きとれなくなるっていうのは、なんだか若い頃には
なかった頑固さのあらわれのような気もするんですよね。
安斎利洋2009年05月16日 01:29
アルファベットの語順を変える読み間違えは、ソシュールがアナグラムとして研究していますね。アルファベット系と漢字は、エラーが起こる脳の場所が違うような気がします。

自分が頑固で、自分の好きなように間違うとしたら、「読みまつがい」はもっとつまらないものになりそうなものだけれど、自分の中にも対象にもないものが降ってくる感覚があります。進化の秘密にふれているのかも。
godzi22009年05月16日 02:19
いえ、ただの老化です。
お互い歳ですなあ!
寝太郎2009年05月16日 05:31
私もこれには悩まされています。読書できる距離とコンピュター画面を見る距離が乖離している。つまりそれぞれ違った眼鏡が要る。しかも読書用の眼鏡もコンピュター用のものも眼が疲れる。それぞれ作り替える。暫くするとまた合わなくなる。いっそのこと裸眼でと思うのだがコンピュター画面に10センチの距離に顔を近づけている自分がいる。首が痛くなる。

誤読には一瞬の(誤)判断が必要だが、これにはピントが合ったイメージがあって初めて可能。ピントが合っていない曖昧な図は(フッサールがdoubt perceptionと言ったような)判断自体が中吊りになった状態。

ああ、誤読もさせてくれない状態を「もうろく」というのだろうか。残酷だ。
Mike2009年05月16日 05:37
おお、安斎さんも、しだいに肉眼の世界から心眼の世界へとワープされつつありますね。
 つまらないものは見ない、自分の内なる脳がすでに充分想像力を発揮して見てしまう、ということなんでしょう。ある種の一人ブレスト。
 組み替えは、CS的には遺伝的アルゴリズムぽいですね。

言葉の間違い(入替えなど)、収録中です。たとえば、
音位転換の例では、
アミニズム(770) → アニミズム(5,230)!、
コミニュケーション(38,700) → コミュニケーション(1,310,000)
シュミレーション(148,000) → シミュレーション(567,000)!
重音脱落(ハプロロジー)の例では、
荒げる(13,100) → 荒らげる(1,130)!!
などがあります。(カッコ内は、Googleのヒット数)

大和田龍夫2009年05月16日 06:49
仏教の世界では「唯識」なる考えがあるようで、それを「豊穣の海」で知って呆然としながらも安心したことでなんとか今も生きています。
(外界には何もない、あるのは自分のこころだけだとかそんなことだったかと)

脳科学でもその辺はなんか同じようなことが言えるようで、「私がお化けを見たってことを脳科学は証明してくれないか?」という質問をされて困ったって話を依然お伺いしてなるほど・・・と思ったのですが。

正しいことが何かってのにこだわらなくなったのは科学の世界から遠ざかったってことなのかもしれません。

「猫がわかれば世の中がわかる」
を探しに旅にでてみようと思いました。はい。
imochang2009年05月16日 09:49
子どもの読みまつがい、言いまつがいなども大変面白く、つまらないテキストを、まったくもって魅力的な別物に変換してしまうのですが、小学生になった娘は、
>自分の中にも対象にもないものが降ってくる感覚
を、最近では、くれなくなりました。
まあ、でも、たまにはあります、こう、聞いた瞬間、その場で倒れようかな・・・と思うような、読みまつがいとか言いまつがいとか。

>進化の秘密
感じますね・・・ほんとに。いろんな方向で。

まあ、でも、私の読みまつがいっぷりもスゴイです。
言いまつがい、聞きまつがいもスゴイので、私の場合、明らかに視力じゃなく、脳味噌の問題ですが。

それにしても、「猫がわかれば世の中はわかる」
魅力的な響きですね。
脳よりも猫をわかったほうが世の中はわかるんじゃないか、というくらい、不思議な説得力があります。
うらら2009年05月16日 11:11
わたくしも若干その域に入りだしたようで往生しております。
特に私の住む地域は旧漢字を多様する地域でして、
醫とか鐡とか體とか、もうパッと見「●」にしか見えない字がたくさんあるんですよ…。
平仮名は、じつは幼児のためのものでなかったことが、この年になってよくわかりました
小林千早都2009年05月16日 14:57
「猫がわかれば世の中がわかる」
そういう本があってもおかしくないなぁ。
気がつくと、安斎著で出てたりして。
安斎利洋2009年05月16日 14:57
こどものことばを集めた『こどものことば』という本があって、絵と同じように新鮮な驚きの連続なんですが、こどもの絵やことばは間違っているというより、大人がひとつの正しさへ落ちていくのに対して、無数に正しさの中にある状態、というべきなんでしょうね。

だから、ひとりブレストはこどものときから始まっていて、こどののころがもっとも嵐が激しいんじゃないかな。それがだんだん、ほかの脳と共振しながらひとつの正しさを作り出していく。

ひとりブレストに目をむければ唯識とか独我論になるし、共振に目をむければ、端的にいうと科学になる。

「読みまつがい」は、閉じた骸骨の中で響いているのか、それともほかの脳との共振なのか、というとどちらでもないような。そこが不思議です。

フッサールの、ちゃんとピントが合ってなければ誤読もできないよ、というのは、ピンボケはどんどん情報が落ちていってなにも生み出さなくなる、という経験則に合ってますね。Mikeさんの集めている、あらげる、とか、多少の縁、みたいな誤用は、言葉のもっているエッジをなまくらにする例ですね。

ところが、「猫がわかれば」みたいなのは、エッジが立って切れ味が出てますよね。
進化に「ピント」は必須だろうか、という話ですね。
安斎利洋2009年05月16日 14:59
>醫とか鐡とか體とか、もうパッと見「●」にしか見えない字がたくさんあるんですよ…。

すでに↑この書き込みが、灰色の四角に見えます。
僕の姓は「安齋」よりも難しい齋の字なんですが(フォントにない)、
いっそ、安●にしようかな。

>「猫がわかれば世の中がわかる」
>気がつくと、安斎著で出てたりして。

それは大和田さんの写真集のタイトルですね。
うさだ♬うさこ2009年05月16日 15:55
思い出したことがもう一つあります。

きのう初めての音楽のセッションに参加したのですが、その前夜に見た
夢は、隣の人と楽譜をいっしょにみなければならないのに、その楽譜が
遠くにおかれていて、どんなに目をこらしてみても見えない、という
夢だったのでした。
ここで、すっごいインプロビゼーションが生まれる夢だったりすると
よかったのですけど。
安斎利洋2009年05月16日 17:11
楽譜の間違いがなにか生む、ってのはありますね。

平原綾香が歌って有名になっているショパンのノクターン(cis-moll)は、読み間違いか写し間違いかわからないけれど、怪しい音符が一ヶ所ありますね。歌詞でいうと、nothing in return の return のあたり。

平原綾香のは怪しくないですが、たまに怪しいほうの楽譜で弾いているのがあって、僕はそっちのほうが、でろでろのセンチメンタリズムに水をさしていて好きです。
Hiro2009年05月19日 06:54
> 生まれてこのかた目が悪くなったことがなかったので、この事態は仰天の連続だ。

激しく同意です(笑)。

もうちょっと老眼が進むと、ひらがなも読めなくなりますので、
書かれているような、ややこしい誤読はなくなります。
御心配なく。
                      経験者より
                      (^_^)

あ、そうそう。
安斎さんは、乱視が出て来ていませんか?
僕は老眼の進行とともに、乱視が出て来て、ぼやけたのを老眼鏡
できっちりピントあわせても、二重三重に見えるので、どの文字
も画数の多い文字に見えしまいます。

まるで、ひらがなのないて漢文を見てるようになります(嘘)。
 
安斎利洋2009年05月19日 16:43
ひらがなも見えなくなったら、この世は完璧に思い通りですね。

僕は、遠くに見える飛行機が複葉機に見えます。遠近両用の眼鏡を作って驚いたのは、度の入ってない「遠」の側の、クリアさです。度なしの乱視眼鏡も作ろうかと思ってます。
Hiro2009年05月20日 07:09
> 遠くに見える飛行機が複葉機

そう !
それが僕にとっては一番困るんです。
ラジコン飛ばしてるんで。
複葉に見えるだけなら、カッコいいとか笑ってられるんですが、
遠いところの距離感も失われるんです、二重だと。

  先のコメントの中で老眼鏡と書いたのは、正しくは
  遠近両用です。
  で、遠くにもピントが合わなくなっていたのが、遠
  近両用で合うようになったんですが、老眼が進んで
  それに合わせて遠近両用眼鏡を作り直すに従って、
  眼鏡屋さんには頑張ってもらっているんですが、乱
  視が酷くなると矯正しきれないらしく、困ってます。
 

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