2年ほど前から特定の距離のものしか見えない病気にかかってしまった。老眼という不治の病らしい。
生まれてこのかた目が悪くなったことがなかったので、この事態は仰天の連続だ。文字を読み間違えることは昔からあったけれど、目が良ければただちに訂正される。ところが目が悪いと、訂正されないままエラーが固定される。
「猫がわかれば世の中がわかる」という本をみつけ、これだ!と思って購入。
あまり行かない美容室のメンバーカードには「たまにご来店ください」と書いてある。
「哲学のための奨学金」という車内広告には、心が躍った。
それぞれ眼鏡をかけてみれば「脳がわかれば世の中がわかる」「またご来店ください」「留学のための奨学金」というつまらないテキストにすぎない。
老眼まで達したオヤジにとって、世界は自分が読みたいように読める脳内辞書そのものだから、項目をひとつずらしたあの連発駄洒落が誘発されるんだろう。
最近、早稲田で担当しているゼミに潜っているアントレくんは、「読自」というコンセプトで、本を読む形式を表現している不思議なアーティスト(?)だ。哲学書から小説まで目についたあらゆる本を一日に3冊読む。しかも、一冊について15分以上連続してかかわらない。読書日記を
ブログに書く。すると、本を読みながら本ではないものがいろいろ読めてくる。
以下、アントレと話したこと。
この世にパソコンがうまれて間もないころ、CG環境が一千万円もするような、もちろんフォトショップもない時代、ペイントソフトというものがあるのを知り、あれこれ調べてこれは自分で作れそうだと思い立った。既存の高価なソフトの画面写真から動作を想像して、マウスのドライバも自分で書き、作りあげたソフトをCG業界人に見せると、これはン百万のソフトよりすごいということになった。画面写真を誤読することによって、僕は先端より前に出ることができた。
さて、ここで僕は自分を読んでいたのか、それとも銀河のかなたの、なにかに引かれていたのか。