検索フォーム

ファントム全体に公開
2009年05月13日21:52
10年よりもっと昔、まだパソコン通信全盛のころ、雑誌の連載に「顔文字が生まれたために、顔文字を使わないと不機嫌、という新しい意味が生まれてしまって困った」ということを書いた記憶がある。^_^; みたいな文字を使わないために、普通のテキストが怒っているように思われちゃったことが何度もあった。

人と人の新しい接続形式が生まれることは、実は反対側に実体のない切断面を生んでしまうことでもあるのだ。

ずっと前からあったこの問題を誰も考えないまま、新しいメディアや接続形式だけがどんどん生まれてきたから、人のネットワーク上にはどんどん新しい幻想の不和が生まれた。足あとをつけたまま何も書かないとか、コメントにコメントがつかないとか、下らない話は山ほど聞く。

「携帯電話を持つ小5の4人に1人はメールの返信がないと「とても不安」と感じている」というのは、異常なことじゃなく、人間の社会性として当然の感情の立ち上がり方なんだろう。http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=835465&media_id=2&m=1&ref=news%3Aright%3Apickup

メディアを設計する側が、このphantomについてもっと研究すべきなんだと思う>関係者

感情をもった人間がメディアを使うわけじゃなくて、メディア=感情だからだ。

コメント

Linco2009年05月14日 00:22
趣味=インターネット、なんてのもありました。
さかい@8/2平原演劇祭2009年05月14日 01:20
速度は人を感傷的にする、と感じる時が昨今あります。
ks912009年05月14日 01:28
新しい速度は、新しい事故を生むと同時に、新しい幻想も生むのですね。
安斎利洋2009年05月14日 01:55
僕も速さの問題だと思っていたんですが、速さとは関係のない、襞の問題なんじゃないでしょうか。
あおいきく2009年05月14日 10:32
「返信がないから、怒ってるかも?」という、お母さん同士の疲れそうなコミュニケーション・エラーも聞きます。
必要以上に飾りをつけるのも冷たく見せない配慮で、下の世代になるほどデコデコ。女子が手紙のまわりをかわいく飾るのはいつの時代もですが、一日に数十通ものやりとりをして絶えず配慮や不安に揺さぶられるのは、強迫的かも。
にしの2009年05月14日 14:50
時間ではなく距離の問題かと。

心理的距離がかぎりなくゼロに近く24時間同じ囲炉裏を囲みつづけている息苦しさでは。襞の余裕のない距離。
システムを作る側ができるのは、安心できるくらいまで故意に遠ざけることではないかと思います。
寝太郎2009年05月15日 06:20
襞とかファントム(スペクター)とかドゥルーズ、デリダ用語が続出ですね。

デリダはモダニズムのホワイトキューブにも襞があってスペクターが潜んんでいる、というようなことをいっていましたっけ。

ホワイトキューブの中でパソコンを打っているインターネットが趣味の主婦。襞をいっぱい作ってスペクターが潜む居場所を作っている。スペクターが出てくるたびにホワイトキューブは色合いを変え、デュミナスの触視的現前の帳を張る。主婦はデリュージョンとして取り憑かれた快感に酔う。デリュージョンがイリュージョンに格下げされることを嫌い、主婦は次のスペクターがそれに間に合わず出てこない事にいらだつ。主婦は自分がホワイトキューブの中で生息しているという事実がとてもいやなのだ。
安斎利洋2009年05月15日 13:59
ドゥルーズ、デリダ用語でしたか。切断した手足に痛みを感じる幻肢は、phantom leg、phantom limb というそうですが、過剰な接続は幻肢痛のような嫌悪を次々と作り出します。寝太郎さんの言い方に従えば、嫌悪や痛みも含めて、ファントムを熱帯魚のように殖やしている、という図ですね。

>デコデコ

これも、私は冷たくない、というメッセージを原動力にした増殖系ですね。

>システムを作る側ができるのは、安心できるくらいまで故意に遠ざけることではないかと思います。

増殖を止めるのが、いいのかどうなのかわからなくなってきましたが、もし止めるとすればシステムの中に減衰を入れるんでしょうね。価値が減衰する地域マネーみたいに、関係がしだいに薄れていくのが常態であるシステム。すると、ふと遠い記憶のように友人と再会するようなシステム。
寝太郎2009年05月16日 05:13
phantom limb の場合は身体の一部が物理的客体として失われた状態で、メルロ=ボンティがよく使っていましたね。主体としての痛覚や他、デリュージョンとして現実に感じられる。他人に取ってはイリュージョンでしかないんですが、本人に取っては「現実」である。拡張して言うと身体の延長としてハビチュアルになったもの(例えばブルデューのハビタット)が物理的客体として消えてしまった時、phantom limb に較べて痛覚等は弱いものの、現実に声が聞こえたり触覚的に訴えてきたりする。

ホワイトキューブの中の主婦の場合、言語のコミュニケーション網の延長として「人面魚」が泳いでいる。この魚はコミュニケーションの相手として見返した対象も人面魚に変える力を持っている。一旦人面魚に変えられた主婦は自分が人面魚であるという現実に棲みたがる。ここに一つの襞が出来る。この人面魚は別の他人を見返すと別の人面魚を作り出すので、端から見ると「熱帯魚」のイリュージョンに見える。

人面魚のハビタットの中では(デリュージョンとしての)物理的客体つまり別の人面魚が失われた場合phantom limbがおこるかもしれない。
安斎利洋2009年05月17日 02:36
人面魚を育てるゲームがありましたが、ソーシャルネットワークに生じるイリュージョンをシステムが先読みして、人面魚として可視化するというのが、一歩先の解決かもしれませんね。

返信が途切れて不安になる高校生には、途切れたとたんに不安のお化けが出現して、みんなでそれを葬ればいいわけです。

 安斎利洋mixi日記 一覧へ