安斎利洋の日記全体に公開

2006年04月11日
23:14
 北京連画
中国の留学生、胡暁蕾さんが北京連画について中村さんあてにメールをくれたそうだ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=116272206&owner_id=64544

10年前の1996年、西安の書家、高峡(ガオシャ)さんに僕らの作品を送ったあと、長いこと反応が返ってこなかったことを思い出した。

もしかしたら、気分を害したんじゃはないか。西安碑林博物館の館長でもある高峡さんは伝統的な領域にいる作家だから、作品に手を入れるなんて馬鹿なことだと一笑に付されたのではあるまいか、そういう妄想が日に日に膨らんだ。

それはたんなる思い過ごしだったけれど、北京で高峡さんに会ってみると、コラボレーションに対する考え方には隔たりがあった。その距離を埋めるプロセスそのものが、北京連画の面白さだった。

10年前は、日本と中国はもっと近かった。あるいは、遠さにまだ気づいていなかったのかもしれない。芸術で文化交流を、なんていうベタなことをいうつもりはないけれど、胡さんが書いている次の言葉は、素直に受け止めなくてはと思う。

>日本に来て7年ほど経っても自分が感じている乗り越えられな
>い異文化の壁が中村さんたちは1ヶ月ほどで突破できたように
>感じました。もし全世界の連画ができたらきっとすごいだろうな
>と思いました。
 

コメント    

2006年04月12日
06:48
小林龍生
ぼくにとっても、あの北京連画は衝撃的だった。
強固で巨大な構築物をけっ飛ばしてみたら思いもかけず振動が大きく拡がっていったといった塩梅で、漢字という東アジア文明の根底にあるコミュニケーション手段の本質がかいま見えたような気がした。
思えば、その後の、ソシュール的な音声言語至上主義言語観で漢字を取り扱おうとする乱暴(中国の簡体字にも、日本の常用漢字にもこの弊がかいま見えるし、ユニコードの連中などはその典型)への意識的な対応も、この北京連画に一つの原核(この書き方分かってもらえるかなあ)があったような気がする。
2006年04月12日
07:53
MATANGO
わああ!
「英雄(ヒーロー)」という映画をご覧になりましたか?
秦の始皇帝が文字を統一するまで、書家というのは「字をつくるひと」だったという解釈で...。
それがいま...。
2006年04月12日
08:21
中村理恵子
>「英雄(ヒーロー)」という映画をご覧になりましたか?

MATANGO さん、はいはいはい!観ましたよ。
剣の達人が、砂場に、書をし。囲碁する横で、戦いのシミュレーションをして、最後の一突きをリアルに決める。
衣装、和田エミでしたっけ?
男性の髪型や髪飾り、武道と、書道など、‘道‘を重層的に生きる彼らの生きること、死ぬことの何通りにも語られるストーリー。
ぜんぜん映画のストーリーを正確になぞれてないけど。

最近、「プロミス」みました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=88487210&owner_id=64544
さらに、「スピリッツ」と。
http://wwws.warnerbros.co.jp/spirit/

メールをくれた胡さんの、算盤(そろばん)も、算盤道ですね。彼女、きっと達人なんだと思います。東京の雑踏にまぎれて、普通の年若い女性にしかみえないけど。きっとすごい潜在能力を秘めてるのだ、ね。
2006年04月12日
08:47
中村理恵子
tlk さん;コバ部長!
>ぼくにとっても、あの北京連画は衝撃的だった。
ほんとう?うれしいですね。ロク↓は、まだ元気ですか?
「ロクもしくは我が家に棲む雑種犬について」
http://www.renga.com/archives/beijing/roku.htm

しかし、人のめぐり合わせて、心底面白いもんだなーと思って。北京の会場に訪ねてくれた野知潤一さん(この世界では、MAO)http://mixi.jp/show_friend.pl?id=34352は、ボイジャーの萩野さんたちとも交流しながら電子出版について、独特な試み;「マチともの語り 」なんてのやってるしね。
http://machi.monokatari.jp/

寄り集まってきたり、離れたり、またどこかでふっと出会ったり。その時々、いろんな顔してるけど、好奇心に満ちた目の光は、そのまま。



2006年04月12日
13:57
安斎利洋
小林さんの脳に住み着いて、北京連画は文化的な役割を果たしてきたんですね。

かつてICCで、マクルーハンプログラムと東京をつなぐ公開研究会があって、そこでロバート・ローガンと話したことがあります。
http://www.ntticc.or.jp/Archive/1998/McLuhan/Events/event03_j.html

彼の論旨は、西欧の文化はアルファベットの抽象性によって、グローバルで客観的な結合知を高めることに成功した、というようなもの。僕は漢字そのものに意味が畳み込まれていることの豊かさについて話したんだけれど、彼は「いやアルファベットのAは、もともと象形文字だったし、Bもそうだし」なんていう反証を展開して、要するにあまり話はかみあわなかった。

北京連画のときは、漢字を紙に書きながら、「そんな漢字はうちの方はないぞ」みたいな話で香港や中国のアーティストと盛り上がりました。韓国の友人から、漢字で住所の書かれた手紙が届いたときは、なんだかほっとした。EUじゃないけど、漢字ユニオンみたいな意識はありますね。その是非はおいといて、東アジアにきざしているナショナリズム復興に小さい風穴をあけることにはなるかもしれない。
2006年04月12日
15:10
あおいきく
ここ数日、辺野古沖にできるというV字型滑走路が頭を離れないんですが、この醜さが東アジアの不和を言い訳にしていることを思うと…
http://www.asahi.com/politics/update/0407/010.html

全世界の連画、という言葉に胸が熱くなりました。
2006年04月12日
15:35
安斎利洋
亞の中にVを入れた漢字を作って、「言い訳」と読みましょう。
2006年04月12日
22:14
Fibonacci
参加できますか?
そうでないか、カブリアン北京を開始してくれますか?参加します。
2006年04月12日
22:59
安斎利洋
北京カンブリアン、考えてみます。まず、旧知をたどらないと。
投稿リーフにつけるタイトルは、フォマールさんの作品のように漢字四文字というのはどうでしょう。文法は無視して、4つの漢字の衝突で意味を作る。
2006年04月13日
02:35
Fibonacci
とてもいいです!
2006年04月13日
06:23
小林龍生
ヒーローもすごく面白い映画だったけれど。
一つ忘れてはいけないことは、音声言語の獲得(母語)とちがって、必ず教育プロセスが介在しないと文字は習得できない、ということ。このことは、即座に文字が本質的に権力と結びつくものだ、ということでもある。
だから、ぼくは、東アジア漢字圏での文化共有に過度に楽観的になることはできない。
しかし、だからこそ、差異を認識した上で共通点を認め合っていくことや、(広い意味での)統制がなければ、そもそもコミュニケーションが(共同幻想としてだとしても)成り立たないことを認識した上で差異を作り出していくこと(異化作用)は、他者理解の上でとても重要なことだと思っている。
おっと、このような考えの原核も北京原画だなあ。
2006年04月13日
08:17
中村理恵子
フォマールさん

>そうでないか、カブリアン北京を開始してくれますか?
ははは。週末そちらのイベント時、カンブリアンのセッション相談もちょっと立ち話できればなんて下心ありましたが、もう始まってますね。
いやはや。
どこで発火するかわらない創造の、鬼火(笑)。

安斎さん
こりゃ週末、一緒に名古屋行きますか?
こちらは、高速バス使った貧乏バックパックみたいな旅程ですか(笑)。
むほほほ。
フォマールさんとは、真新しいセッションを囲んでみたかったもんね。
2006年04月13日
21:14
安斎利洋
>こりゃ週末、一緒に名古屋行きますか?

僕は次の週末にフォマール展(正式名称:幸村真佐男展 http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/top.html)行こうと思います。

>tlkさん
フォマールさんは、コンピュータアートの先駆者、幸村真佐男さんです。
>フォマールさん
tlkさんは、かつてCGの本の共著者であり、ユニコードの世界で暗躍する小林龍生さんです。

こんなところでなんですが、ご紹介。
2006年04月13日
21:58
安斎利洋
tlkさんの話は、ほぼ同意。

>文字が本質的に権力と結びつくものだ、ということ

今日はこのことをずっと考えているんですが、文化のファンダメンタルを伝える仕組みがコンピュータの中でパッケージ化されれば、教育=国家を突き崩すことができるわけで、それは今あるような教育用ソフトとはかなり違うものになるはず。いろいろイメージが沸いてきます。
2006年04月14日
07:24
nazo
>亞の中にVを入れた漢字を作って、「言い訳」と読みましょう。

笑い声のコメントがまだ入ってないようなので、私が笑います。「ははははは」。漢字とアルファベットの融合で面白いよ。αベッドでいい感じ。


>創造の、鬼火

うーん、海馬にガツンとくる組み合わせの言葉だなあ。くすぶったり、燃え盛ったり、光景が見えてくる。スナップショト的軽快さだね。
2006年04月15日
13:05
安斎利洋
nazoさん、笑い声ありがとうございます。mixiは足跡があるんだから、笑いを残す機能があってもいいですね。

中村さんは、いまごろフォマール展にバスで向かってます。鬼火というか、鬼太郎のようだ。
2006年04月15日
21:13
123終点
こんにちは、胡です。
安斎さんのとこも賑やかですね★楽しい、楽しいです!!!

「カブリアン北京」←楽しみにしてます。

実は最近中国では日本文化はものすごい速いスピードで広がっています。例えば、「人気」という日本語は中国のマスコミでも頻繁に使われるようになってきましたし、「の」か「ノ」の入っている看板は最近中国ではやたらと多いです。政治界はいろいろと騒いでるっぽいけど、民間では「華流」「日流」のブームになっていると思います。

ところで、親から届いた手紙に書かれた住所のカタ仮名の「レ」「ロ」は中国風味が丸出しです。

今読んでいる小説にはこういうことが書かれています↓
 ・・・
「例えば僕が『偶然』と言う字を書く。しかしこの『偶然』という字体からあなたがかんじるものは、僕が同じ字体から感じるものとはまったく別のもの―あるいは逆のもの―かもしれない」
 ・・・

↑同じ言語文化の人さえこういうふうに感じるんだったら、日本語のわからない中国人は「の」、「ノ」をどういうふうに感じているのかな、とちょっと考えました。


2006年04月16日
02:36
>4つの漢字の衝突で意味を作る。
漢字が衝突して、世界を作る方が良いかも。

境界が永遠である方が、脳には気持ちいい。
アハ体験は境界を越えることを認識できたときの喜びで、本当の喜びとは、実は境界がない意味が、輪郭がないのに意識出来る瞬間にあるんじゃないか、そう思うようになってきました。
2006年04月16日
17:43
>境界が永遠
境界が不鮮明で、広がりが永遠

の誤りです。
2006年04月16日
19:01
安斎利洋
話題の胡さん、こんにちは。

カタカナやひらがなが中国風味で使われ始めているという話は、実に興味深いです。中国風味という言葉も、面白い。

「の」というひらがなが流行っているという話を、どこかで聞いたことがあります。「の」はかわいい、というのが理由だそうです。「北京の連画」というように、(語順が逆ですが)@マークのように使えますしね。

そういえば一時日本で「的」が流行ったことがあります。的は、造語能力の高い言葉なので何にでもくっつきます。「みたいな」が流行るのと同じこと、、、みたいな。

近隣の文化圏が、差異を楽しみはじめるのはすばらしいことだと思います。「北京のカンブリアン」をはじめるときには、ぜひ胡さんの力をお借りしたいと思います。
2006年04月16日
19:09
安斎利洋
>境界が不鮮明で、広がりが永遠

yfujiさん、意味が通じました。言葉は宿命的に概念に境界を作るものですが、言葉のaha体験といのは、境界を壊す瞬間でもあると思います。

漢字と漢字が衝突するaha体験もありますが、漢字そのものもパーツとパーツが衝突するaha体験の結果なんですよね。だから、カンブリアン@北京は、新しい漢字を作るセッションにするべきかもしれません。
2006年04月17日
00:34
123終点
安斎さん

>「北京のカンブリアン」をはじめるときには、ぜひ胡さんの力をお借りしたいと思います。

私にできることがあったら、なんでもします!楽しみにしています★

新しい漢字を作るセッションは面白そうですね。逆に漢字圏じゃない国の人々に漢字をつくってもらったら、どうなるかなとちょっと考えました。

これからもよろしくお願いします。



 安斎利洋mixi日記 一覧へ