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オントロジーAとオントロジーBの闘争全体に公開
2009年03月21日02:49
野球はもともと、攻撃と防御を切り分けないと理解できないような、あんまり面倒なことを考えたくない連中がはじめたスポーツなんじゃないだろうか。

複雑な問題を切り分けて解きほぐし、ひとつひとつ要素化して理解するのは、頭の良さなのか、それとも複雑なまま理解できない、という頭の悪さなのか、とか。

ヴァイオリニストは右手で弓を弾くけれど、「左手でフォルテを弾く」っていう言い方があって、それは具体的には弦を硬くおさえることによって減衰しないような意味なのだけれど、こういうのは究極、頭の良い知識表現だ、とか、、、

そういう、賢さの座標が世間と少しずれた人が集まって、朝から晩まで話しまくる小さくて濃い集いがあった。学習科学の三宅なほみさんが率いるコンソーシアムの行方を探る会だったのだが、なほみさんのすごさは、ねえちょっと時間ある?と数日前に声をかけただけで、豪華な面子がぞろぞろそろってしまうところ。

先日来、急速に仲良くなった北大の田中譲さん、もうすぐ東大教授卒業の原島博さん、最近テレビでよく見る高野明彦さん、なほみさんの連れ合いというかメンタルスタッフさんというか認知科学の三宅芳雄さん、ユニコード戦記を執筆中の小林龍生さん、相変わらず杖を振り回している中村理恵子さんなどなど。この顔合わせがかつてあったわけじゃないのに、なぜかどんどん懐かしい部活みたいな空気に。

それから、産総研の橋田浩一さん、MIMAサーチの美馬秀樹さんなど、話題提供者はほとんど、自然言語処理の最深部を掘っている人たちなのに、そこから引き起こされる議論はどんどん自然言語処理の不可能性に落ちていくのが面白い。「それじゃ言語ゲームはどうなるのよ」と、メンタルスタッフさんが小声でつぶやく。

美馬さんの言う、「オントロジーAとオントロジーBの類似と差」は、それへのひとつの答。人はそれぞれ違う世界観の木をもっていて、違う木の枝が接合し闘争しているというのは、年末に西野さんや木原さんや幸村真佐男さんと話したテーマでもある。

みんな違う理解をするから世界は面白い、というなほみさんの変わらぬ態度にも通じている。しかし、そういうダイナミックな世界を、機械は切り分けて、読み取れるのだろうか。

別な言い方をするなら、同じひとつの写真がひとりひとりの中で違う連想につながるカンブリアンゲームに、機械が楽しんで参加できるか?という、いわば「カンブリアンテスト」をどうクリアするか。

ある日、隠喩をあやつる機械が、こっそり人のように参加しているカンブリアンゲーム。
面白いゴールかも。

写真

コメント

Berty2009年03月21日 08:06
ごぶさたしています。タイトルに引かれておじゃまします。

W3CにWebオントロジ言語(OWL)なんていうXMLがありまして、そのJIS化に携わりました。最近のこの用語の使われ方に関しては奇々怪々な気がしております。

20年位前のAIの世界の定性的推論といった分野で、オントロジはルールや言語が表層的知識と言われていたのに対して深い知識と言われていました。安斉さんとして、オントロジをどのように認識されていますか?
安斎利洋2009年03月21日 12:19
ナレッジサイエンス系の人が言うオントロジという語彙の奇妙さについては、先日もくりかえし話題になってました。

>オントロジはルールや言語が表層的知識と言われていたのに対して深い知識

というところから出発して、それを木に表層化してもなおオントロジといい続けたから、哲学のオントロジーと工学のオントロジーの違いはオントロジーの違いである、なんていうトートロジーも言えちゃうわけですね。

田中譲さんは、それよりも taxonomy が ontology と並んで扱われているところが気に入らない、taxonomy がわかってない、と言って、日本語が日本人よりうまいステーヴェン・クレイネスに食ってかかっていました。
yfuji2009年03月22日 01:11
生物学の世界で、一つ一つのpieceを切り取って行く作業自体、もしくは切り取られて出来上がった絵を評価する方法論がtaxonomyで、切り取った一つ一つのpieceを繋ぎ合わせる作業を進化学と呼ぶのでしょうか。
ナレッジサイエンスをしている私からしても、ontologyはケツの据わりの悪い言葉で、あるモノを一時的に置いておく仮の宿みたいなものとして捉えています。
単純な既存の事実をもとに、あまりにも無配慮に、しかもその置き場所が正しいのかどうかよく解らないうちに、あるモノを一旦そこに置いておく作業のように見えます。だからontologyという言葉には質感が無い。
対象が生物に限らないブロードサイエンスをされている人達とは、これらの言葉の概念が異なるのでしょうか。
yfuji2009年03月22日 01:17
追伸
お誕生日おめでとうございます。
でもこれ、Toshihilogyではありませんから。
安斎利洋2009年03月22日 02:26
yfujiさんありがとうございます。いま年齢カウンタの数字が変わったことに気づきました。あれ、いくつになったんだっけ。

先日の会で面白かったのは、生命科学の教科書を知識をオントロジ表現で記述し、自然言語処理(っていうか人工言語処理?)で言い換えることによって、学習者のレベルにあわせて易しく表現される教科書、なんてのがありました。具体例が出てこなかったんで、ほんとかよ、という気持もあるけれど、うまくいけば面白いですね。

バイオの分野は、日々ドメインの境界が揺れているにもかかわらず、厳密に用語が統合されている必要があるから、知識工学にとって最適の舞台なんでしょうね。

それに対して、美馬さんのエンジンで、岩波の『思想』のバックナンバーの語彙構造を視覚化するという実験があって、これは哲学の人たちが懐疑的で、それで何がわかるのかいな、みたいな空気だったそうです。

科学は、用語がひとつの木になろうとするけれど、哲学は同じことをどうやって違う言葉にするかにだけ、しのぎを削ってるわけですからね。
小林千早都2009年03月22日 12:15
本論から外れますが、まずはお誕生日おめでとうございますバースデー


・・・ふと、機械が楽しみを覚えたらどうなるか?面白さと怖さを同時に感じてしまいました。
Berty2009年03月22日 13:47
お誕生日だったのですね。おめでとうございます。

> 田中譲さんは、それよりも taxonomy が ontology と並んで扱われているところが気に入らない、

taxonomyもXBRL(Extensible Business Reporting Language)という財務諸表を扱うXMLで使われています。内部統制などで活用されているはずの用語ですが、今回の金融危機には無力だったようです。XBRLもJIS化されていて私はこのJIS化にも関わりました。

XBRLのtaxonomyは、XMLスキーマを拡張したものですが、リンクベースというハイパーリンクのデータベースで財務諸表の枠組みを管理するので特殊なパラダイムになています。Justsystemではxfyでこのツールを開発しました。このような類似の枠組みの構築はOWLのようなontology(オブジェクト指向的)によるクラス継承の方がエレガントです。

XMLにおけるtaxonomyもontologyも、本質的には集合概念の記述に過ぎず、ラッセルやヴィトゲンシュタインの分析哲学で議論されたことの繰り返しに過ぎない部分も多いように感じています。ゲーデルの不完全性定理を知らない人が多いのに驚かされます。
安斎利洋2009年03月23日 00:54
>機械が楽しみを覚えたらどうなるか?

楽しんでいる、というのをどう定義するかで、どのような楽しむ機械も生まれますね。
人間の間違いを指摘するときの機械は、楽しそう。

>taxonomyは、XMLスキーマを拡張したものですが、

こういうのを、はまり役っていうんでしょうね。

taxonomy も ontology も、静的な構造の問題じゃなくて、どう世界が精密になっていくか、とかいうような、動的にどう変わっていくかというところが大事なんじゃないかと思います。 木のリビジョンとか、木と木の比較とか、そっちにどうも関心が向きます。
メンタルスタッフ2009年03月23日 00:54
AIで問題にされているOntologyは、ごちゃごちゃした具体的で特殊な世界を扱うというよりは整理された抽象的一般的世界を扱っているんでしょうね。そんなOntlogyを理解(例えば生命科学の最先端の論文の理解)や、文章の作成(特許の請求申請書、辞書項目の執筆?)に役立てられるか、が当面の課題。

実際にOntologyを使ってみることで、いろんな問題が浮き彫りにされてくるんじゃないかと思います。
理解や学習における「一般、抽象」の役割ってなんなのかがはっきりするかもしれません。
特殊や具体の無い学習や理解なんて無いと思いますが、一般、抽象の無い学習ってありなんてことがはっきりしてくると面白い。

具体的で特殊で、その場その場の臨時のOntologyなんてのがありで良いと思うのですが、そうなってくると、誤解や面白さと言った現実の学習に不可欠の何かを扱えるようになるかもしれないと思ったりします。




安斎利洋2009年03月23日 01:04
>理解や学習における「一般、抽象」の役割ってなんなのかがはっきりするかもしれません。

そうですね、実際に機械で教科書を作ってみたりすると、いろんなことが逆にわかりそうですね。

この前の発表ではわかりにくかったけれど、美馬さんのエンジンは、先入観としてのオントロジーをもたず、そこにある対象だけから、アドホックに語彙の構造を作るんですよね。だったら、誤解とか理解不能とかまで含めた、いろいろ動的な実験ができるんじゃないでしょうか。美馬さんを、そっちの方向にかき立てると面白いと思いました。

それから、学習というのはオントロジーのような論理的な木を伝えることなんでしょうか。連想のような、無意識を育てるということを考えている人はいるんでしょうか。
Berty2009年03月23日 10:44
興味深い議論に参加させていただき嬉しいです。

メンタルスタッフさん、ご無沙汰しています。私もJUSTを辞めて一昨年から教師になりまして、職業訓練指導員資格を与える高等教育機関でネットワーク技術とネットワークサービスを教えております。当該分野ではXMLはコアの技術です。

> AIで問題にされているOntologyは、ごちゃごちゃした具体的で特殊な世界を扱うというよりは整理された抽象的一般的世界を扱っているんでしょうね。

25年位前に、NTTの横須賀研究所で概念スキーマの研究をされていましたが、まだそのテーマが古くなっていないということですね。私が関心を持っているのはDomain Ontologyで、自然言語を扱うUpper Ontologyはまったく分かっていません。

OWLはNETCONFというIETFのデータモデル記述でも使う試みがなされています。NETCONFはSNMP(simple Network Management Protocol)のMIB(Management Information Base)をXML化して、従来コマンドラインで行っていたルータなどの管理をAPIを決めて自動化する規格ですが、このモデルにOWLを使ってオントロジ化する試みです。

データモデルのXML化に際しては、XML Schema, RELAXNGが宗教戦争をやっていて決まっていないのですが、その合間を縫ってOWLでモデル化する試みが少数者で取り組まれています。なお、モデル化のプロセスには、OMG(Object Management Group)のUML(Universal Modeling Laguage)を使ってクラス図からモデル化して生成しており、Protegeのような一般のオントロジエディタを使わない方式です。

沖電気やパナソニックでは、オントロジを家電製品のマニュアルに適用する研究もなされています。こちらはProtegeとJenaでシステムを構築しています。現在私はテクニカルコミュニケータ協会のWebマニュアル関連のWGを担当しているので、このあたりの問題にも興味がありますが、必ずしもうまくいっていないようです。

オントロジを研究として扱うか、実用化(製品)として扱うかで、適用の戦略やプロセスも異なると思いますが、そのあたりも必ずしも整理されていないように思います。
メンタルスタッフ2009年03月23日 16:55
> この前の発表ではわかりにくかったけれど、美馬さんのエンジンは、先入観としてのオントロジーをもたず、そこにある対象だけから、アドホックに語彙の構造を作るんですよね。
だったら、誤解とか理解不能とかまで含めた、いろいろ動的な実験ができるんじゃないでしょうか。美馬さんを、そっちの方向にかき立てると面白いと思いました。

そうですね。なにしろ、実験してみないと、ですね。
当たり前すぎて、教師が言及しないような、「一般的な構造」が見えてくるというような期待もあります。と言いつつ、コミュニケーションの道具としての言葉には、当たり前のことって表に出ないので、どこをどう探しても言葉の世界には出ない「一般的な構造」あるのかというところも気になりますが。。。

もう一つの問題は、表示の問題でしょう。
一般に、強い先入観を持ち込まないと、データから何かを読みとるのは難しいし、知らないものを読み取ることができるかどうかという問題がでてきますよね。(複雑なものを見る時は、コンファーメションバイアスの塊みたいな状態になっていることが多い。シリアライズされた表示にすら同じ問題があるのだけれど、気がつきにくいのかもしれません。)

ちょっと余談になってしまいますが、先日、病院で病気の父親の肺のレントゲン写真を医者が目の前で解説してくれる機会があったのですが、「造影剤を使っていなくてみにくいですが」とか言ってくれるんですが、まあ、分かりにくいですね。コンピュータ処理して、結果を分かりやすく表示してくれても、それはそれで、結論だけ言われていることになって面白くないかもしれませんし。医者とのコミュニケーションは難しい。

「星座作用」の元で、如何に学ぶかですかね。

> それから、学習というのはオントロジーのような論理的な木を伝えることなんでしょうか。
全然違うものではないか、という捉え方は、認知科学の最初のころからの問題意識だったと思うんですが、この素朴学習観は世の中では根強いですね。先日のシンポジウムでも、これを乗り越えて、現実の学習がどんなものかを伝える大変さをひしひしと感じてしまいました。

> 連想のような、無意識を育てるということを考えている人はいるんでしょうか。

中村さんが杖道で実践している?わーい(嬉しい顔)

いろいろな理解や学習を扱う場面で古くから問題にはされているとは思うのですが、手強い相手ですよね。どう扱うかはともかく、実際の学習や理解に働きかけようとする時は無視はできないはずです。

研究としては、例えば、問題解決、創造過程におけるインキュベーションの期間の役割とか、学習におけるプラトーやスランプの問題とかは問題にされますが、対象が見えないものですから、信頼できた有効な理論が出てこないのかもしれません。

両方問題にしなければならないことは明らかなんですが、どちらかだけになってしまいがちですね。最近は、自分も含めて、「排中律という妖怪」が住んでいるせいかななどと考えたりすることがあります。
メンタルスタッフ2009年03月23日 16:57
Bertyさん、
ご無沙汰しています。昔の議論の続きをやるみたいな感じになってきましたね。
昔から、Bertyさんにはいろんな新しいことを教えてもらっていましたが、その状況も同じですね。

> 25年位前に、NTTの横須賀研究所で概念スキーマの研究をされていましたが、まだそのテーマが古くなっていないということですね。
そうでしたよね。 古くなっていないと思うし、今でも認知科学研究の中心テーマだと思いますが、、、うーん、複雑な気持ちですね。

> 沖電気やパナソニックでは、オントロジを家電製品のマニュアルに適用する研究もなされています。こちらはProtegeとJenaでシステムを構築しています。現在私はテクニカルコミュニケータ協会のWebマニュアル関連のWGを担当しているので、このあたりの問題にも興味がありますが、必ずしもうまくいっていないようです。

この当たりとっても興味があります。オントロジーを(マニュアルを)作る人に役立てるのか、(マニュアルを)使う人に役に立てるのかで、問題が違ってくると思いますが、せめて、
当面、作る人に役立たないかというところでしょうか。
「うまくいっていない」ところは、作るところで、ですか?

「使う人にとって役に立つマニュアル」の方も、携帯電話のマニュアルなどの現状を見ても、それほどの進展がないような気がします。これも、マニュアルで「一般」を伝えたいのか、「特殊」を伝えたいのかが整理されていないのではないかという気がします。

「一般」を伝えるのは難しいと思いますが、それこそドメインオントロジーを活用して、特殊を伝えることに対応することはできそうな感じがするんですが、難しいのでしょうか。

いわゆるエキスパートシステムはドメインオントロジーを目指していたのだと思いますが、これはどうなっているのでしょうね。
安斎利洋2009年03月23日 17:18
Bertyさんとメンタルスタッフさんは、そういう古い「えにし」でしたか。

マニュアルにしても、このまえの「易しい教科書」にしても、専門化した知識を、日常の海の中に放つわけだから、「Upper Ontology」の困難につきあたるんじゃないでしょうか。

昔からあるジョークで、「準備ができたらどれかのキーを押してください」と表示されると、普通の人の何%かは電源スイッチを押す、というのがありますが、電源スイッチを無視するフレームが、「Domain Ontology」ということなんでしょうね。
安斎利洋2009年03月23日 17:52
>一般に、強い先入観を持ち込まないと、データから何かを読みとるのは難しいし、
>知らないものを読み取ることができるかどうかという問題がでてきますよね。
...
>「星座作用」の元で、如何に学ぶかですかね。

人間は見ようと思ったものだけを見るから、レントゲン写真も、経験のある医師がありがちな場所にありがちな形を見ているに過ぎないんだと思います。もちろん、それはそれで機能するのだけれど、ありえないものを見つけることは、まずできない。

にもかかわらず、なぜ人間は知らないものを知るのだろう、というのは、僕にとっては永遠のテーマです。先入観をもたない人間はいないのに、先入観を裏切って何かを見つけるのは、どこかにうまい自由度があり、しかもそこにうまく撹乱がはたらくからで、そこにはおそらく協調的な他者との回路がうまく作用しているんじゃないか。

Domain Ontologyと、Upper Ontologyのカップリングと、創発性をからめた研究というのは、あるんでしょうか> Bertyさん、メンタルスタッフさん
Berty2009年03月24日 10:40
> オントロジーを(マニュアルを)作る人に役立てるのか、(マニュアルを)使う人に役に立てるのかで、問題が違ってくると思いますが、せめて、 当面、作る人に役立たないかというところでしょうか。 「うまくいっていない」ところは、作るところで、ですか?

阪大の溝口先生の考え方に近い人たちがINTAPの組織研究の一環として取り組んでいます。マニュアルの内容をOWLのクラスとプロパティで記述するというもので、ある部分のクラスと関連する部分のクラスをプロパティで関係付けるというもので、全体ではなく部分的な記述です。

北陸先端大の池田先生も関連していて、私が「3ヶ月毎に新製品が出る世界なので、オントロジが完成した時には陳腐化してしまうではないか」と質問したら、「それはメーカーが考えることだ」と言われて気を悪くされていたようでした。

OWLによるDomain Ontologyは、モノのシステムとしてのオントロジを扱います。クラス継承させたサブクラスの特性に親のクラスとの関係を記述するので、ミンスキーのフレームのXML版と言えます。CommonLispのCLOSだとメソッドが書けるので狭いドメイン記述には便利なのですが、OWLだと処理系を別に作らねばならないのが煩雑です。かつての竹内郁雄さんのTAO Lispは、クラスの中で論理変数が使えたのですが、OWLの世界はクラス相互間でパターン照合を要求するのでCLOSの世界でも工夫を要します。

> Domain Ontologyと、Upper Ontologyのカップリングと、創発性をからめた研究というのは、あるんでしょうか> Bertyさん、メンタルスタッフさん

個人的には、Upper Ontologyは、ゲーデルの不完全性定理(論理を精緻にすると適用領域は狭められる)から実現は難しいと思いますが、あいまいさを特性として記述すれば(ファジーやベイズの世界?)可能性はあるかもしれませんね。でもこれはヴィトゲンシュタインの言語ゲームの世界かもしれません。

Domain Ontologyも、ドメイン毎に定義される同名のクラスでは似て非なるものの集合になると思います。Webの世界では名前空間でXML用語を区別しますが、名前空間の一元管理はどうなるのか興味深いところです。Googleあたりがクラウドコンピューティングの世界でベイズを使って工学的にうまい解決法を見つけるかもしれません。
安斎利洋2009年03月24日 13:40
>個人的には、Upper Ontologyは、ゲーデルの不完全性定理(論理を精緻にすると
>適用領域は狭められる)から実現は難しいと思いますが、

工学者は習性的にゲーデルの罠を避けようとしますが、しかしコンピュータそのものは、自分で自分を書き換えてしまう自己参照性があるから、このような急激なブートストラップを編んできたんだと思います。癌細胞と万能細胞の原理が共通しているのと同じように。工学は数学や論理学とは違って、ゲーデルを動的にそのままくわえ込むことができるんじゃないでしょうか。

美馬さんのエンジンが面白いのは、ドメインは関係なくどんなテキストも飲み込んで、そこからドメインを推論できるという点です。もし、そこからあるクラスタを恣意的に選び取って、そのクラスタを対象にしてさらにドメインを絞り込む、というような循環を作ってやると、これはドメインの境界を自分で決めるオートポイエーシスが構成できるんじゃないか。これは、志向性そのものじゃないか、というのがここ数日とりつかれている考えです。
メンタルスタッフ2009年03月24日 16:55
オントロジーの一連の議論で、どうも問題にしたくなるのは、対象の側のオントロジーとその対象に対峙するユーザーの側のオントロジーの対比なのかもしれません。ユーザーの側のオントロジーは普通のオントロジーのイメージから遠い感じもしますが、少なくとも、ユーザーの理解や学習にもいろいろなタイプと階層があるでしょうし、それだけでもオントロジーとして役にたちそうです。(認知科学のオントロジー)

椅子のオントロジーを書こうとすると、椅子の形状から始まって、どんな材質で作られているのかというあたりまでは分かりやすいですが、それだけでなく、椅子の「働き」を記述することは必須でしょうし、さらに、椅子のアフォーダンスや、椅子を踏み台につかうこと、木の切り株も時には椅子になるなど関係のありそうなことを記述していくと、際限がなくなりそうです。

別な言い方をすれば、対象のオントロジーだけでなく、対象と人との関りを視野に入れない限り、狭い意味でのオントロジーもなかなか生かせないのではないかと思います。
当たり前かもしれませんが。

椅子とは何かを子供に教えるとするならば、どれが椅子でどれが椅子ではないかを教えるよりも(これなんか知能テストの問題にありそうですが)、椅子でなくても椅子になるものがあったり、椅子であっても危ない椅子があることなどを教えるのがよい、、、とも限りませんね。
そんなことは、わざわざ教える必要もなく、子供が勝手に学ぶのに任せるか、もしくはその場で判断できるようにするのがよさそう。

アルゴリズムのクラスで、クイックソートか何かを教えたたら、賢い学生が「クイックソートのアルゴリズムがどんなものかということより、どうやってクイックソートのアルゴリズムを思いつくのか知りたい。」と言ってきたという話があります。これに直接対応するのはなかなか難しいですが、理論とその理論を使ったり創ったりするユーザーの考え方が見えるようなオントロジーが欲しいんじゃないかと思います。

安斎利洋2009年03月24日 19:09
認知心理学の実験で、いろいろな遊び道具を前にした子どもに「ボール」を選ばせると、ゴムの丸いもの、木でできた丸いもの、などを集める。次に、それらで十分に遊ばせたあとで選ばせると、ゴムの丸いものと、ゴムの四角いものを集めてくる、というのがありました。

遊ぶ行為を通してカテゴリーが動的に変化するわけで、正しいオントロジーとしての「ボール」を教えるより、ボールを理解するための遊び方を教えたほうがいい、ということになりそうです。まさに、クイックソートを教える、というのは、クイックソートを発見する道筋を教える、というのが究極のやりかたなんでしょう。

ひとそれぞれ異なる、未完のカテゴリーの木があって相互作用している、というのが言語ゲームのモデル化としてふさわしく、これは必ずしも工学的な対象にならないということはないように思います。

用語としては、オントロジーというより、イデオロジーとでも呼ぶべきでしょうか。
メンタルスタッフ2009年03月25日 21:11
図と地の隠喩はこのMixiの場でも繰り返し出てきたような気がしますが、
オントロジーで言えば、図のオントロジーだけではなくて、地のオントロジーが欲しいなんてことなのかもしれない。

図が地からポップアップするのは図の力だけではなくて、地の力が不可欠なのでしょうが、図ばかり目につくので、地の存在やその役割が目に入らないということがありそうです。

オントロジーという言葉よりもイデオロジーという言葉の方は、なぜか、地も意味する響きがあるような気がしますね。

意図的な教育や学習は目立つ図ばかり取り上げてしまうので、せっかく無理やり詰め込んだ図も、肝心な時にポップアップして生かされずに、そのままやせ細って消滅してしまうということがありそうです。

隠喩でものを考えたり、言葉遊びをするのがよいのは、地を耕しているからよいんではないでしょうかね。
言葉で地に無理やり穴をあけたり、土をひっくり返したりしているうちに、土地が肥えてくるのかもしれません。

図であるオントロジーを支配しているのは一見すると論理が支配しているようにみえるけれど、イデオロジーを駆動する連想になしには役に立たない、、、。
安斎利洋2009年03月25日 22:09
地と図のオントロジーは、アフォーダンスを思わせて、有効そうな予感がありますね。たんにフレーム問題にしちゃうとタマネギの皮のように無限後退しちゃいますが、地と図の複合したオントロジーの使い分けというのは、日常的にやってます。

『このクラスにテキストはありますか』(スタンリー・フィッシュ)という本があって、このタイトルは、ある文学のクラスで学生が発する発言なんですが、ひとつは「この講座には指定の教科書がありますか」という普通の意味なんですが、もうひとつ「この解釈共同体はテクストの問題を扱うか」という、ドメイン特有の意味にも落ちうる。その両義性をネタにして論を進めているんですが、狭いドメインか日常的か、という行き来は僕らは普通にやっていて、だからこそ特殊な問題が感覚や認識にグラウンドするんじゃないでしょうか。

すると、地と図のオントロジーをもった機械というのは、面白いデザインかもしれませんね。地の方は、確かに推論より連想のネットワークかもしれない。

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