安斎利洋の日記
2005年03月12日
14:37
鑑別所の樹
僕の仕事場は、少年鑑別所のすぐ近くにある。タクシーで帰るときは、練馬の鑑別所の近くといえばほぼ確実に行き先を指示できる。ときどき、ああ懐かしいですね、昔入っていました、という運転手がいたりする。
鑑別所は、確かになぜか懐かしさに似たある感情を喚起する。人間の深い淵をのぞくような、霊気のようななにか。その一因が何だったのか、今日理解した。鑑別所の壁沿いに植えられていたたくさんの樹木が、根こそぎ伐られて、その霊気がまったく失せてしまったのだ。
役人は、本当に簡単に樹を伐る。樹の霊性を、理解していないのだろう。
コメント
2005年03月12日
18:03
あ っ こ
どっかの医学会で発表されてた医者の論文で、窓辺に樹木を見ながらの療養とビル郡見ながらのとでは、投薬回数、レベル又痛みの感じ方、引き方などが顕著に違うと書いてありました。
樹木見てると病気の治りが早いという結論。
(データも載っていたので探してみたけど、なくしました。すみません)
>役人は、本当に簡単に樹を伐る。樹の霊性を、理解していないのだろう。
色々な意味で不勉強な人が多いですね。お金をかけて木を切るより享受できるメリットが多くあることは経験的にも、そろそろ科学的的にも立証できるはずですから。用地が必要だったとしてもやりようがありそうな・・・??
二十才代前半を暮らした杉並のアパートは都会のエアポケットみたいな場所でした。
目の前は一面の畑、その向こうに植木屋さんの苗畑、後ろは竹やぶに古い農家の納屋と大きな桜の木といった環境でした。
畑と家の間の小道には欅の巨木がそびえていました。
四季折々をこの木と過ごすことはとても幸せだったのですが、ある日突然伐採されてしまいました。
外から帰ったら、欅がない!って状況に驚いたこともありますがなんだかひたすら悲しかったのを思い出しました。
2005年03月12日
18:06
安斎利洋
>ひたすら悲しかったのを思い出しました。
本当に落胆しました。どうやって仕返ししてやろう。種撒いてこようかな。
2005年03月12日
18:17
eiko
近所から苦情が出た可能性はありませんか?
私も、窓の前に見える隣家の桜の大木がよくて引っ越してきたのに、一昨年、屋根の雨どいに落ち葉がつもる、という近所の苦情で坊主頭に刈られてしまいました。屋根の上の手入れは高いので、霊性と雨どいが天秤にかけられて雨どいが勝っちゃったらしい。その木は苦情の主よりもずっと前からここの住人だったのですが。
ああ、ぐれてやる。
> どうやって仕返ししてやろう。種撒いてこようかな。
建設的ですね。
2005年03月12日
18:29
安斎利洋
>近所から苦情が出た可能性はありませんか?
あ、それかもしれませんね。
>その木は苦情の主よりもずっと前からここの住人だったのですが。
エコロジーというのは、簡単に言うと人間以外の権利を考えることですよね。だから、この表現はとても正しい。
2005年03月12日
20:14
TODO
30にならんとする昔、清瀬の病院に半年ほどいた。近代的な高層の病棟とは別に、ドイツ方式を取り入れたというナースセンターを中心に放射状に病室が配置された平屋の病棟があった。病室と病室の扇形の空間にはポプラが植えられていてサナトリウムというのはこんな感じかと思ったものだった。患者には良かった。
しかし、看護婦の皆さんには不評だった。何せ動線が長い。隣の病室に行くにはいったんセンターまで戻るのだから。結局、効率の良い高層の病棟に建て替えられた。患者第一とか言うつもりはありません。職員も大変だから。でも居心地の良い環境でした。あのポプラ、当然伐採でしょうな。
2005年03月12日
21:14
miyako/玉簾
長い間、そにあった木は、それなりのライフサイクルを作っています。虫やそれを食べにくる鳥、それから巣だって。
夏は木蔭を作ってくれてお年寄りは少し蔭で休む。。
朝起きて鳥の声を聞くことは、とても良いです。
私は落ち込んでいる時も植物の手入れをすると
気分がリセットされます。
爪の中に土が入って真っ黒になってもかまわなくなります。
土のかおりがとてもいいし。
そういう事もっと考えればいいのにね。
「新しい木じゃダメなんですよ。あの木じゃなきゃ。」
っていう木かもしれないのにね。
2005年03月12日
21:34
imochang
随分前の話になりますが、京都では、目抜き通りにもなる御池通というところのケヤキ並木が、交通渋滞の緩和と都市開発の名目で、ばっさりといかれました。
しょぼい街路樹が植えられてはいますが、あの木たちが、かつての風景をつくり出す前に、また、きっと、何らかの名目で切られてしまうこと、間違いなし。
役人は、アホですわ。
御池通は、祇園祭の山鉾巡行の後半のルートにあたります。
夏の緑の合間から、真っ赤な鉾の屋根が見えてくるのが、ほんとうに美しかったのですが、今はもう、その光景もありません。
鴨川の桜並木が切られる・・・などという噂も浮上しましたが、そんなことをしたら、暴動を起こしてやる!と叫んだ人間が、身の回りだけで死ぬほどいました。
今でも、かなりブランドだけの死都ですが、あの桜並木がなくなれば、本当に京都は終わりです。
遺伝子レベルで許せないので、面倒くさがり屋の京都人が、バラバラの状態で(集団行動が嫌いな遺伝子)、あちらこちらで暴動を起こしそう・・・
役所のゴミ箱に放火くらいはしにいきますな、私は。
2005年03月13日
00:50
gilli
2ねんぐらい前に東京大学の構内も、独立法人化にむけてのかけこみ予算消化だと思われますが、おそらく江戸時代から鬱蒼としていたのじゃないかと思われるような薮や、名前の知れないような樹木の数々を根こそぎブルドーザーで掘り返したり、大きな木もちゃんとした庭師じゃなく、大きな土木建設会社が、チェーンソーで枝ぶりをはらったして無惨な形になったりしていました。
東大の構内には今ではあまり目にしなくなった、シーボルトが名付けた時代からあると思われるような、あじさいがありましたが
(ちょっと花がこぶりで奇麗なひし型をしていて、花のギザギザが浅い)
あの時かなり掘り返してゴミトラックに積まれていました。
(涙)
2005年03月13日
01:43
miyako/玉簾
そういえば西表の浜ぞいの薮もごっそりいかれました。
そこにブロック積んで、景観がわるいので「種」を仕込んだネットを張って出来上がりだそうです。
今まで、山から流れてくる赤土を根っこや石で濾過してくれた植物を根こそぎ倒したら、海に赤土が流れてダメになる事ぐらい誰でも知っていることなのです。
わたし、その工事を見て唖然としました。
それにいくらブロックを積んでも台風の大波が何度も来れば、ブロックは崩れます。大きな台風で浜の地形が変わることだって、地元民は知っているのですよ。
なのに、あんな工事して!山猫だって減るに決まってる。
涙!
2005年03月13日
02:26
安斎利洋
「木は法廷に立てるか」クリストファー・ストーン(Christopher Stone)1972 という論文があります。
個人の権利と同じように、自然に権利を認める考え方を提唱しているんですが、僕は自然に限らず、たとえば特許の話でも「知識の権利」という仮想人格を考えるとうまくいく、ということが無数にあるような気がします。
人間だけが権利をもっているというモデルは、複雑な地球と文化のシステムを安定させるためにはあまりに単純すぎます。
2005年03月13日
08:01
あ っ こ
♪♪♪give peace a chance
歌の歌詞(タイトルでもある)を思い出しました。
訳は「平和に機会を」となる。平和が主語になってるのがミソ、主体が平和でそいつにチャンスを与えてやって!という意味になるんだと思う。つまり平和が権利を主張している歌詞といっても過言ではない。映画の主題歌。
日本で始めて、人間以外の方々の権利を主張した裁判は
奄美自然の権利訴訟だったとおもうのですが、原告はなんと
アマミノクロウサギ・アマミヤマシギ・ルリカケス・オオトラツグミ(1995年2月23日提訴)
権利というと利益と裏腹の構造であるために必ず利害関係が発生する、そうなると現実問題は裁判ということになる。
裁判は人間がやるわけで(代理人)やりたい人待ち?ということにもなる。今後人間社会がこの問題をどう文化に組み入れていくのか、どういった切り口が有効(実行力があるか)なのだろう?裁判はともかく他者の権利について徹底的に議論する機会はあってよいきがする。
2005年03月13日
09:07
imochang
>それにいくらブロックを積んでも台風の大波が何度も来れば、ブロックは崩れます。大きな台風で浜の地形が変わることだって、地元民は知っているのですよ。
住宅地造成のために削られた京都盆地・辺沿の山・・・
「危ないなあ」と思ってたら、やっぱり、翌年の大雨で崖崩れをおこし、「ほれ見たことか」と住人どもは舌打ち、町内会長が奮起して、工事差し止めを申請しました。
このときは、さすがに、京都市の「違法造成地」と「工事中止勧告」の看板が立ちましたが、既に、家は建ち、ひとは住んでます。
よく、あんな恐ろしいところに住めるなあ・・・と思いますが、不動産屋も悪徳です。きっと、家を買ったひとは知らないのだろう。何故、値段が安かったのかなど・・・
それまでは、秋になって南天の実がなっても、必ず、すぐに鳥に食べられて、なくなってしまっていたのですが、以降は、お正月まで保つようになりました。
下手くそな鶯の声も聞けなくなりましたが、まもなく、我々も引越ました。
今の路地には、ヤゴやザリガニのいる川があって、季節になると、呑気に蛍がとんでます。
2005年03月13日
11:44
miyako/玉簾
おお、ざりがに!
静岡にいた頃、仲良しでしたよ。
園児の頃のことです。
「えびがに」って呼んでいるひ弱そうなのもいたなあ。
2005年03月13日
12:58
ふみ
え?私の自宅と安斉さんの職場が異常に近いことを知った(笑)
2005年03月13日
14:06
安斎利洋
ほ、ほんとすか。同じマンションだったりしませんよね。
2005年03月13日
15:18
安斎利洋
>give peace a chance
「平和」に仮想人格を与えると、たぶん戦争にも権利を与えなくてはならなくなるんでしょう。爆弾は爆発する権利を持っている、とか、銃は発砲する権利がある、とか。CO2の排出権は面白い考え方だけれど、考えてみると「排出する権利」というところで、ほとんど爆弾の権利と同じことになっている。国家は少しだけ人を殺す権利がある、と同じことになってしまう。
何に権利があって、何に権利がないか、というのがイデオロギーで色分けされているというのは、理論的に弱いわけで、なにかもっとすっきり、単純な一般解があるはずなんだけど、これがなかなか難しい。
この世界で権利があるのは、地球だけ、とか、神だけ、というのが解なのかもしれないけれど、ちょっと勘弁だな、そういうのは。
2005年03月13日
17:18
あ っ こ
二酸化炭素排出権問題はわたしには金融工学の話に見える。実際市場取引の権利売買(オプション)の仕組みに似てはいなか???そっくりだ。
この仕組みを条約に取り入れることは締約国会議(たしかCOP2)からの検案事項として引きずられ反対する国も多数のなかAの付くデカイ国との駆け引きで議決される運びに(アバウトすぎですが筋は正解だと思う)デカイ国Aさん!!さすが金融王国って感じがした。環境問題といえども経済問題として逆に市場にだして堂々競争させるほうがすっきりしてるのかも知れないと思った出来事だった。
何事も経済活動から切り離して議論できることはないのは自明の理ではある。(もちろん手放しで容認できるわけないけど)実際このとき語られた権利は笑えるくらいすっきりとそれぞれの利害にうらうちされた「権利」の話だったのだと思う。
しかし現在地球上の多くのくにで何かにつけて闘う正統性は「権利」であることは間違いなく・・・・悩ましいところです。
>この世界で権利があるのは、地球だけ、とか、神だけ、というのが解なのかもしれないけれど、ちょっと勘弁だな、そういうのは。
ほんとかんべんですね★たまんない
文化性や哲学性や芸術性や色々を政治に反映するチャンネルを確保することと、主体が多数である状態を確保維持する仕組みを模索するなかでなにかの発見があるのかな??
2005年03月15日
17:54
ふみ
ご安心下さい。
自宅は一戸建てなので同じマンションではありません(^^)
2005年03月15日
18:22
安斎利洋
氷川台で飲み会をやるときは、声かけますね。
2005年03月15日
19:32
gilli
自然と同じく、遺跡や文化財の保護も、土建王国日本の前には無力です。造成のようなものをしていて、そうした遺跡がでると調査のために工事が遅れてしまうので、闇に葬られたりしてるのを見聞きしました。
2005年03月15日
20:16
imochang
遺跡や文化財保護のために、京都では、だいたい、10年単位で、地下鉄の開通が遅れます・・・のらりくらり。
いつになったら開通するんだよお!!
でも、美しいお寺の土塀に落書きをしたり、うちの近所の蛍がとぶ川にゴミを捨てるヤツらがいたりして、平気で木を切る役所とともに、そういう連中の感覚も疑います。
こういうやつらが、もしかして、いつか官僚になったりするんだろうか?
ああ、やだやだ。
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