安斎利洋の日記
2005年03月10日
22:51
火事場で縄跳び
imochangの日記、
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200
に関して。障害者の芸術活動に対する注目度が高まるのはうれしいが、imochangの違和感もよくわかる。
先月、Mellシンポジウムの控室で、久しぶりに桂英史さんと会った。彼は、会うたびにドクター・ストレンジラブに似てくる。それはともかく、最近どう?みたいな話の中で、知的障害者に映像表現をさせる彼の研究が印象的だった。
ビデオで日々を撮り始めた障害者が、ある日近所の火事に遭遇する。彼はさっそくカメラ片手に、現場に駆けつける。ビデオカメラを三脚につけ、彼は火事場を背景に縄跳びを始める。話を聞きながら、背筋に鳥肌が走った。
人生は下町の入り組んだ路地のようで、目的地に行く行き方は無数にある。しかし、人間は(少なくとも健常者は)、驚くほどわずかな同じ道筋を、並んで歩いている。個性の偏差なんて、ごくわずかなブレにすぎない。
こんな道があったのか、というナローパスを、臆せず、あるいは仕方なく歩くのが障害者の力であり、誇りでもある。障害者の特殊性がすごいのではなくて、僕らが衝撃をもって知るべきなのは、自分の歩く道のバリエーションの貧しさだ。
コメント
2005年03月11日
00:04
gilli
ヒットされますね。
うーん。
2005年03月11日
03:52
jun@NP
ダメージある話ですね。
なぜか三島由紀夫の「太陽と鉄」が思い浮かびました。
なんでやら。
2005年03月11日
07:14
中村理恵子
>自分の歩く道のバリエーションの貧しさだ。
健常の幅ってのは、管理したりされたり、ことを伝えたりにしこたま都合がいいもんね。
マジで、自分の中に微かな(すごく・笑)知的障害を自覚したとき、かえっていろいろな工夫が浮かんでなかなか人生味があるな。
なんて思ったもんね。
2005年03月11日
10:02
imochang
光島貴彦さんに巡り合わせてくださったのは、実は、安斎さんと中村さんだ。
でも、彼に出会って、私の何かが裏返った。
大江正彦さんというダウン症の画家の方と巡り合わせてくださったのは、知人の写真家の方だ。
絵の迫力、色彩の美しさ、造形の豊かさ、ご本人の微笑む顔・・・どれもが素敵で、輝いていた。
子供が生まれた。
ものすごい集中力で絵を描く。字を書く。
保育園で「焼きそば」の絵を描いたら、何故か、具は、ぶどうとバナナだった。
ナイスだ、娘・・・
ちなみに、うちの保育園では、「そんなものは焼きそばに入れないでしょ」なんて言わない。そこが嬉しい。
で、娘の保育園では障害を持った子供を積極的に受け入れている。
もちろん、できないことはできないことと認知しつつ、基本は、他のクラスの子と同じように扱う。
そのために組まれた先生方のシステムは、ものすごい。
子供たち自身も、その子の障害を知りながら「いっしょにやろう」と声をかける。できないことは手伝ってあげる。励ましている。
けれども、今年、卒園する、あみちゃんは、やはり養護学校に行かざるを得ないということだ。
哀しかった。
彼女が初めて、自分から素敵な絵を描いたとき、私は、彼女のおかあさんと半泣きになりながら、語り合った。
もうすぐサヨナラだ。
実は、私が大江正彦さんの展覧会を、保育園で宣伝しまくったのは、あみちゃんと、あみちゃんのおかあさんのためだった。
それから、ゆきちゃんと、だいごくんと・・・・・ああ、もう書けない・・・
2005年03月11日
10:49
みゆき
うちの息子もかなり、変なとこアル,昔から。
で、こちらのゆったりしてる時は大笑いでうけるんだが、
ない時はすごく,イライラしてつらくあたってしまう。
後ですごく反省する。
面白い,楽しい、反面、スムーズではない。
しかし、わたしもかなり、そんな風で、昔ケッコンしてたころ
夫の人は矯正しようとするようだ。近くにいると、イライラするそうだ。 わたしは手に職があってしあわせだ。いや、表現
があってしあわせだ。それは案外なんでもちゃんと出来る人より
ずっと多くのしあわせを感じれる能力だ。足りないってことはけっして、不幸じゃないんだ。
2005年03月12日
01:09
安斎利洋
イライラ、というのも、わかるなぁ。つらいところだけれど。
どんなに愛しい相手でも、面白がれるときと、イライラするときがあるだろうな。
2005年03月12日
15:34
匿名希望中・おーもり
面白がれない。
自分が面白くないから。
イライラはする。
自分にイライラしてるから。
いっぱいいっぱいだからだ。
でも息子と一緒に面白がることは、出来る。
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