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思い出すスキルトロニクス全体に公開
2008年12月29日13:33
にしのさんが提唱するスキルトロニクスは、技術がなにからなにまで仕事の代行をしていくんじゃなくて、技術が人間のスキルを要求するような領域だ。

持ったその日に使えるわけじゃない。しかし熟練を重ねると、どんなすぐれたインターフェースより密度の高い「人間-機械」の連携が生まれる。ピアノだって、小刀だって、車だって、道具はそのような敷居の高さをもつのが常だった。

人に優しい(易しい)環境を目指した近代の技術は、人間の関与をひとつひとつ解消していって、ついに人を追い出してしまった。敷居の高さは解消すべき問題ではなく、逆手に利用すべき制約だ、というのがスキルトロニクスだ。武道の型も、音楽の様式も、ここに通じる。

カンブリアンパーティーのひとつの目玉がスキルトロニクスだったにもかかわらず、それを十分にほかの話題と結びつけることができなかったのが、心残り。とくに、あの場でさんざん話題になっていた画像検索を、スキルトロニクスとどう関係させるかを考えなくてはいけなかったことに、あとから気づいた。それは、思い出すという行為の未来を考えることだからだ。

情報学環の授業で、ネット上のコンテンツをどんどん使うカンブリアンゲームを実験的にやってみた。ミイラというキーワードにつける画像を誰もがフリッカーから検索してくると、上位に出てくる強烈ないくつかの画像に自然と眼がいく。このルールのカンブリアンは、みんなが同時に同じ外部記憶をたどることになるだろう。

難しい言葉が話題にのぼると、誰もが人知れずいっせいにgoogleにかけるという奇妙な集団擬似回想行為が、すでに人間の意識のありかたを変えているんじゃないかとさえ思う。

SANPOの画像選びを支援するために、画像にタグをつけたり、画像の類似を自動的に検索したりするのはどうだろう、という話があって、僕はやや否定的に思った。それは、たとえば螺旋階段にドリルの刃をつけることはできても、言葉で説明できないリンクを捨てることになるからだ。メタ言語で説明できないビジュアルアナロジーだからこそ、創発が起こる。

じゃあ、「思い出す」にスキルトロニクスをかませる、というのは、どういう技術の方向をさすだろう、ということを考えたい。思い出すことの熟練や巧みとは、どういう道具の中で起こるのか。

コメント

中村理恵子2008年12月29日 13:47
>画像の類似を自動的に検索したりするのはどうだろう、という話があって、僕はやや否定的に思った。それは、たとえば螺旋階段にドリルの刃をつけることはできても、言葉で説明できないリンクを捨てることになるからだ。

このj話で思い出すのは、連想型検索エンジン「mondou」@京都大学だな。

たとば、”ナナ”と入れたら、

犬、白、歌手、、、なんて項目をひっぱってきた。
それなりの説得力あったし、知識の量が足し算的にむやみに膨大に集まるということでなくて、そこには、確かに、記憶や、心地のいい飛躍が仕組まれてたように思うよ。
安斎利洋2008年12月29日 13:53
mondouの河野さん、いまどうしてるんだろう。
あの時代のWebの規模だからこそできたことなのか、それともいまでもできるのか。
中村理恵子2008年12月29日 13:59
はいはい。追跡しましたよ。

河野浩之さんはね、
現在は、南山大学 情報通信学科教授だね。
http://www.nanzan-u.ac.jp/Dept/mt/faculty/kawano.html

かつて京都大学助教授時代に
http://infosys.sys.i.kyoto-u.ac.jp/~kawano/kawano.html

わたしが取材した連載「ポートレイトインサイバースペース」第8話にも登場。
http://rieko.jp//archive/portraits_in_cyberspace.pdf

なんだかこれじゃ興信所だわほっとした顔
pih2008年12月29日 15:14
リンクにタグを付けると面白いかも,とは思っています.なかむらさんや皆さんがやっている解題をずっとシンプルにして,あわよくば連想の別ネタにできれば,といった感じで.
画像にタグを付けるのは,私も反対.
遼 遠 ☆2008年12月29日 15:46
ある画像の周りについた画像の集合自体が、「タグ」だと思いました!
smi Le2008年12月29日 19:44
ぼくは小学生のときに先生から「忘れんぼ大将」とあだなされちゃうほどの記憶喪失人間なんですが、おかげで何をわすれてもその場にあるもので誤魔化すワザは身に着けたかも。
これってスキルトロニクス?
安斎利洋2008年12月29日 20:49
>おかげで何をわすれてもその場にあるもので誤魔化すワザは身に着けたかも。

ブリコルールですね。
http://anzlab.com/panel2008/170.htm
安斎利洋2008年12月29日 21:06
>ある画像の周りについた画像の集合自体が、「タグ」だと思いました!

言語学で言うparadigmを収集する機械になるわけですね。
安斎利洋2008年12月29日 21:06
>あわよくば連想の別ネタにできれば,といった感じで.

Aの画像に対して、類似画像検索をかけてリンクをみつけるんじゃなくて、
AからBにリンクがあるときに、Bの画像の類似画像は、Aにつながるでしょうかね。
これはやってみる価値がありそう。
にしの2008年12月30日 01:10
>ある画像の周りについた画像の集合自体が、「タグ」だと思いました!
私も同感です!
にしの2008年12月30日 01:19
今世の中で使われている「タグ」の課題は、結局のところ「単語」にすぎないということだと思います。
画像1つとっても単語やら、単語5個か10個かの集合で表現できるようなものではなく、ましてカンブリアンの樹のような連歌モードでは、その豊かさを表すには非力すぎです。
ところが単語の持つ力は無駄に強いので、読んだ人がそれに引きずられてしまうのが、怖いです。

言葉でつけるのなら「800文字くらいの解説文タグ」ですね。もちろん検索も自由文でおこなう前提で。
付ける手間はあるけど、使うシステム的にはタグと大差ないかと。文章で書き切る気合いがなければむしろ、付けない方がマシではないか、というところでシンポでの発言につながります。
安斎利洋2008年12月30日 01:58
ことばで「Aである」と言うことは、「非Aでない」を同時に言ってしまうことになるので、たとえビジュアルなランゲージかなにか、新しい表現を工夫しても、それが言語的である限り、宿命的に「〜でない」というロジックを含んでしまいます。

カンブリアンの中では、Aであり、Bでもあり、Cでもある、という分岐を重ねていくだけで、どこにも「〜でない」はないから、そこに言葉のタグとの決定的な違いがある。

たとえばSANPO3の種の画像は、「干してある傘を階下から見上げている」とタグづけすれば、「傘が地面から生えている」ように見えることを隠蔽します。

ビジュアルな連想は、どうやっても言葉に隠されるんじゃないだろうか。
じゃい2008年12月30日 02:59
検索とスキルと言う関係で面白かったのは方法マシンの「サーチエンジン」。
友人である彼らの一つのエポックとなる公演だと思いました。
http://method-machine.com/

googleから楽譜を検索してプリントアウトして、ピアニストに演奏してもらいシュレッダーをかけるという、それだけだけど、マシン達はただただ、演奏には絡まない。

もちろん、検索だから、あらゆる音楽が、そして、楽譜の誤りもそのまま演奏するというちょっとやられた感じ。
安斎利洋2008年12月30日 03:33
爆笑問題の検索ちゃんは、いちはやくWebを相手にしたわけですが、もうすでに枯れています。それはたぶん、Webから思い出すというアプローチの限界なんでしょう。
Webに思い出させる、ということを考えたいですね。
pih2008年12月30日 11:54
>言葉でつけるのなら「800文字くらいの解説文タグ」ですね。もちろん検索も自由文でおこなう前提で。

画像に何か付加するのであれば,結局そうなるのでしょうね.ですが,

>付ける手間はあるけど、使うシステム的にはタグと大差ないかと。

付けた文章を検索対象にしてしまうのであれば,結局は単語(=タグ)とさほど変わらなく.
「800文字くらいの解説文」を活かすことを考えると,それをもとにして別の「800文字くらいの文」を創発させるのがよいかと.これってよってたかって昔話を語り継いでいくようなものでしょうか.
もっとも,そうなると画像はむしろ挿絵になってしまいますが.
pih2008年12月30日 12:08
>>ある画像の周りについた画像の集合自体が、「タグ」だと思いました!

>言語学で言うparadigmを収集する機械になるわけですね。

そうそう,リンクにタグ(単語)を,というのはまさにこれです.その画像に来た/出たリンクが,その画像のparadigmを表現する(規定するわけではなく)という意味で.

>ビジュアルな連想は、どうやっても言葉に隠されるんじゃないだろうか。

隠すのではなく随伴させる.
 画像  →  画像  →  画像  →
   (単語)    (単語)
みたいな感じで.

といいつつ,こう書いてみると言葉はできるだけ前景に出さない方が良いような気もしてきました.これが嬉しいのはむしろ鑑賞/振り返りモードに限定した場合なのかも.
┏┫∵┣┛2008年12月30日 14:06
「言葉はできるだけ前景に出さない」アプローチで、
背後では「ことばつながり」の連想検索画像エンジンとして昨年開発したものがあります:
http://labs.tripit.jp

http://tripit.server-domain.com

データは2007中頃のもので(更新さぼってますが)
・flickrで人気の高い画像のうち、
・Creative Commonsライセンス付きの画像で、
・タグが付いているもの 
に対して、独自の手法で言葉の連想関係を計算してつながりのある画像を表示するものです。

※英語の語彙空間での事例です。
※日本語での検索には対応してませんが、多国語への対応は可能。

連想検索のしくみの話は、以下の文書をご覧ください。
http://www.fujifilm.co.jp/corporate/aboutus/pdf/tech/ff_rd053_002.pdf

# これは実験用の隠しページとして、
http://labs.tripit.jp/api/search
 関連検索エンジンx3 + YouTube検索アプリ
連想検索では、これぞ正解というのが、あるようで⇔ない、
まだまだ可能性はあるかなと思ってます。
『超「超整理法」』で「八艘跳び検索」といわれてるのがかなり近いです。
安斎利洋2008年12月31日 00:58
>リンクにタグ(単語)を,というのはまさにこれです.
>その画像に来た/出たリンクが,その画像のparadigmを表現する
>(規定するわけではなく)という意味で.

あるリーフPからハブ状に出たリーフの集合Sは、パラダイムセットではあるけれど、むしろここで考えるべきなのはPのメタファーの広がりとしてのSなんじゃないかと思います。

たとえば、「煙」が擬人化されて「煙が立つ」というイメージが作られる過程と、カンブリアンリーフがつく課程は似ています。「噂」に同じ種類のリンクがつくと、擬人化した噂が、ぬくっと立ち上がるイメージが作られる。

カンブリアンのリンクはたいてい比喩的で、つまりベタな連想ではなく、転義と飛躍がある。

このテーマは、┏┫∵┣┛ さんの仕事とカンブリアンの関係を考えるうえでも、生きてきそうですね。
安斎利洋2008年12月31日 01:20
>┏┫∵┣┛ さん(発音できない)

話題になっているテーマにぴったりの仕事をなさってたんですね!
画像を言葉のタグで関連づけるという事例が繰り広げられているので、いろいろ考えるヒントがありました。

すでにある多数の画像を関連づけてひっぱってくる、というここでの要求にうまくこたえた、いい仕事だと思いました。

開発されたプログラムをどう運用するか、つまり、言葉のタグをどうつけさせるか、また言葉の距離をどういう空間で測るか、階層をみつけるかとか、予備知識をもつか、などによって、結果はほかにもいろいろありうるでしょうが、このアプローチではありえないリンクがカンブリアンの中にあれば、それがカンブリアンの特質であり、行くべき方向ということになるので、そういう意味でも面白かった。

上のコメントにも書きましたが、カンブリアンは、転義(トロープ)を基本戦略とするリンクの集合で、それは確率的な集合知では扱えない世界なんじゃないか。

転義は、類似の撹乱だけじゃなくて、構造そのものを否定するような開放性があるので、ひとつひとつ石を削るようなカンブリアンのリンクは、最終的に計算対象になりえないんじゃないかと踏んでいます。
pih2008年12月31日 17:02
>たとえば、「煙」が擬人化されて「煙が立つ」というイメージが作られる過程と、カンブリアンリーフがつく課程は似ています。「噂」に同じ種類のリンクがつくと、擬人化した噂が、ぬくっと立ち上がるイメージが作られる。

安斎さん,まさにそれでした.私がリンクに引っかかってた理由を言語化して下さいました.

V={1,2,3,4}, E={(1,2), (1,3), (2,3), (2,4)}というグラフは,
E={a,b,c,d}, V={(a,b), (a,c,d), (b,c), (d)} としても書けて,本質的には同じだけれども扱いが若干変わったりする.
同様にカンブリアンでも,リンクをもう少し前景にもってくることができれば,もっと楽しくなるかな(発想や連想・飛躍といったものがより見えてくる?とか),みたいなことを夢想してました.

タグは,そのための手段としては荒っぽすぎるようなので(これまでの議論からだと第0近似程度?),別に良い手段があればよいのですが,あまり明示化しすぎてしまうと枷になってしまいますからねぇ.

>ひとつひとつ石を削るようなカンブリアンのリンクは、最終的に計算対象になりえないんじゃないかと踏んでいます。

確かに最終的には個別解であって一般化した対象にはできないような気もしますが,どこか丁度よいところで近似ができないものかと.
tamio2008年12月31日 20:40
カンブリアンパーティー
http://jp.youtube.com/watch?v=XH8qSkBHb8Q

 次はどうする?
安斎利洋2008年12月31日 22:55
>同様にカンブリアンでも,リンクをもう少し前景にもってくることができれば,もっと楽しくなるかな

リンクを対象化するというのは、可能性を感じます。

タグをつけるというのは、どんなにハイレゾリューションにしてもカテゴリー化するということになるはずです。画像につけるタグは画像のカテゴリー化。リンクのタグは、リンクのカテゴリー化。これは歴史的には修辞学、あるいは連歌や俳諧における付け句の分類になるでしょう。擬人化というのも、リンクのひとつの型です。

このつけ方はもう飽きた、というのが確かにあります。カンブリアンは、どこにもないリンクの型を探しはじめるようです。リンクの型は、連衆がみんな頭の中で意識化しているんだと思います。それを表現としても全面に出すというのは、リンクの型を要素とするようなカンブリアンをカンブリアンを考えることになるのかもしれませんね。関係の関係を作る。
安斎利洋2008年12月31日 23:00
>次はどうする?

ビデオを見ると、遼遠さんが日記に書いてるけれど禅問答のようなパネルですね。かなり密度の高い意味の連なりがあるから、ちゃんと禅問答に聞こえた人には面白かっただろうし、ついてこれない人には退屈だったかもしれません。このスタイル、極めたいですね。

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